水没予定地の地権者の方との新しい出会い
2008年8月25日、勤めを休んで設楽町に行き、設楽の有名な造り酒屋の若旦那からご紹介いただき、水没予定地の地権者の方(Kさん)とお会いしてきました。
僕はKさんに、設楽ダムの建設には一人の有権者として反対だけれども反対運動をするつもりはないこと、設楽ダム建設を容認せざるを得ない状況を作り出す現代の社会システムやその根底にある現代人の精神のあり方について森作りを通じて問いかけていきたいということ、水没予定地の方々が30年以上にわたるダムとの関わりを通じて何を考え、今何を求めているのかを自分自身や都会に暮らす人が知るための機会を作りたいということ、そんなことをお話しました。
Kさんは仕事の手を休めて2時間半も注意深く僕の話を聞いてくださり、初対面の僕に真剣にお話してくださいました。
Kさんは地域の材木を使った健康的な木造の住宅作りを事業として営んでおられる方で、ダム問題に関わるようになって10年以上も前にヨーロッパの農山村の地域のあり方や日本とヨーロッパとアメリカの社会構造の違い等について勉強をされました。そんな方ですから、僕が、フランスの農山村では都市からの移住民が半数を超えていること、ドイツではいたるところに市民農園があって農的暮らしが普及していること、これから資源のない日本の経済力は減退していくから、日本は恵まれた自然条件を生かした社会を目指さなければならないということ、農山村で自給的な暮らしをしてみたいと思っている若者がたくさんいるということ、山村で都会と同じような文明的な暮らしを求めてもうまくいかない、都会にはない山村にしかないものを生かした地域づくりが求められるはずだということ、個人個人が暮らしを変えていかなければならないけれど、それだけでは足りない、政治をつまり法律を変えなければならない、そのためには多くの人が社会的な意思を表明することが必要だということ、そんなお話をするたびに、ご自身の経験やお考えに基づいたご意見が返ってきました。Kさんのお考えを僕はこんな風に解釈しました。
・これから先、日本は自然と共生する社会になっていかなければならないし、そうなるだろう。
・21世紀は「水」問題がきわめて重要になるから、水源である広葉樹の森を作っていくことは大切だし、稜線近くの区画など林業経営の採算性が取れない区画は広葉樹の森に替えていく必要がある。
・山村の暮らしにあこがれるのは、山村の暮らしを知らない、そして都市の利便性や華やかさを享受した都市の人間の希望だ。実際、山村の暮らしにあこがれて設楽に移住してきた人は何人もいるけれど、数年で皆離れていく。皆、都市の価値観をそのままに持って移住してくる。
・山村に生まれ育った人がそのままその地で暮らし続けられることがもっとも幸せなはずだ。都市の人を呼び込むこともよいけれど、ここに生まれ育った人たちが、ここでも十分だと思うような地域づくりこそが重要だ。ここに生まれ育った人たちが、ここでは自分が思うような暮らしをできないとすれば、それをできるようにすることこそが重要だ。
・日本とヨーロッパとでは社会システムが異なる。フランスなどでは小さな集落であっても存続していける社会システムになっている。日本社会はヨーロッパの方向ではなく、経済効率を求めるアメリカに追従している。社会システムが異なるし、それを支えている人の精神のありようも違うのだから、たとえヨーロッパの方向性が正しいとしても、今、ここ設楽でその方向性を目指したとしてもうまくいかない。
・子供達の世代に何かを残したい。だから自分自身は生きていないだろうけれど、子供達のために自分の山で広葉樹の森作りをし始めている。いずれ杉の人工林を広葉樹の森にしたいと思っている。後進国から日本の農林業を学びに来ている人たちに自分の山を開放しようかとも考えている。
・人工林は暗く、人を寄せ付けない森だけれども、広葉樹の森は人をいざなう。将来、自分達の山がイギリスのフットパスのような散策路のフィールドになるといいと思う。
・大勢で集まって何かをしようとしても、自分自身では何もしない人がお酒を飲みながら放言したり愚痴を言って終わってしまったり、そんなことでは意味がない。そんなことではなく、一人ひとりが自分自身でできることをやることにこそ意味がある。
僕はKさんのお考えがわかります。それでも次のようなことをお伝えしました。
・Kさんのように、持続可能な社会のために自分自身の暮らしの中でできることをしようという人は大勢いる。
・ でも、そういう人がマジョリティになることはない。結局、いくら個別具体的な行動(たとえば買い物袋を辞退するとか、マイ箸を持つとか、ごみを拾うなど)について啓蒙しても、それによって自発的に行動をする人は少数派の限られた人だし、その効果もきわめて限定的だ。希望ある未来には、もっと大きな力が必要だ。
・持続可能な社会の実現には企業活動や個人の行動に対する強い動機付け、あるいは強制力が必要だ。つまり、それらを生み出す法律が必要だ。(次元は違うが、ごみの分別回収は強制されているからこそ進んでいるという意味。持続可能な社会を希求するなら、経済発展を犠牲にする強制力が必要だという意味。)
・今の現役世代は社会参加意識が極めて低く、社会に過剰に順応している。だから市民の社会変革への啓蒙が必要だ。でも、今はデモなんてしても誰も振り向かない。根源的な運動を起こすにしても、誰もが参加しやすいソフトなきっかけが必要だ。そのために、現代社会の問題が凝集しているダム建設予定の核心地での森作り運動に可能性を感じている。
・だから勝手なお願いだけれども、そのためにも自分達に水没予定地を貸していただきたいと。
Kさんは僕の話について一定の理解をしてくださったように思います。しかし、水没予定地の住民の方々が現在おかれている状況を考えると、ダム反対とは異なる社会構造的な問題提起であったりダム建設問題の共有という僕たちの運動意義を理解せずに、いろんなことを言う人がいるだろうから、今このタイミングで、ご自身の土地を僕たちに提供するということは難しいとのことでした。ただ、ご自身の森作りに都会の人たちが参加し、ともに設楽のことを考えてくれるということについて、その可能性は否定しないし、協力もして欲しいと、そんな風に理解しました。
また、お話の最後に、僕は、水没予定地の方々の記憶を記録するために、使い捨てカメラを皆さんにお配りし、それを回収して現像し、展覧会をしたり、インターネットで公開してはどうでしょうか、とお話したところ、これについては地域への働きかけについて協力をしてくださるということでした。僕たちは自分の暮らしについて考えたり、持続可能な社会のために行動するきっかけとなるようなワクワクする雑誌を作ろうとしていますが、設楽の暮らしなどを紹介していくコーナーで、いずれまたKさんをご紹介したいと思います。
僕たちの運動は、あっちへいったり、こっちへいったり、どこへ行くのかまだわからない状態ですが、でも、あせらず時間をかけて、この種を大切に育てていきたいと思います。
あなたの希望をここに。
僕はKさんに、設楽ダムの建設には一人の有権者として反対だけれども反対運動をするつもりはないこと、設楽ダム建設を容認せざるを得ない状況を作り出す現代の社会システムやその根底にある現代人の精神のあり方について森作りを通じて問いかけていきたいということ、水没予定地の方々が30年以上にわたるダムとの関わりを通じて何を考え、今何を求めているのかを自分自身や都会に暮らす人が知るための機会を作りたいということ、そんなことをお話しました。
Kさんは仕事の手を休めて2時間半も注意深く僕の話を聞いてくださり、初対面の僕に真剣にお話してくださいました。
Kさんは地域の材木を使った健康的な木造の住宅作りを事業として営んでおられる方で、ダム問題に関わるようになって10年以上も前にヨーロッパの農山村の地域のあり方や日本とヨーロッパとアメリカの社会構造の違い等について勉強をされました。そんな方ですから、僕が、フランスの農山村では都市からの移住民が半数を超えていること、ドイツではいたるところに市民農園があって農的暮らしが普及していること、これから資源のない日本の経済力は減退していくから、日本は恵まれた自然条件を生かした社会を目指さなければならないということ、農山村で自給的な暮らしをしてみたいと思っている若者がたくさんいるということ、山村で都会と同じような文明的な暮らしを求めてもうまくいかない、都会にはない山村にしかないものを生かした地域づくりが求められるはずだということ、個人個人が暮らしを変えていかなければならないけれど、それだけでは足りない、政治をつまり法律を変えなければならない、そのためには多くの人が社会的な意思を表明することが必要だということ、そんなお話をするたびに、ご自身の経験やお考えに基づいたご意見が返ってきました。Kさんのお考えを僕はこんな風に解釈しました。
・これから先、日本は自然と共生する社会になっていかなければならないし、そうなるだろう。
・21世紀は「水」問題がきわめて重要になるから、水源である広葉樹の森を作っていくことは大切だし、稜線近くの区画など林業経営の採算性が取れない区画は広葉樹の森に替えていく必要がある。
・山村の暮らしにあこがれるのは、山村の暮らしを知らない、そして都市の利便性や華やかさを享受した都市の人間の希望だ。実際、山村の暮らしにあこがれて設楽に移住してきた人は何人もいるけれど、数年で皆離れていく。皆、都市の価値観をそのままに持って移住してくる。
・山村に生まれ育った人がそのままその地で暮らし続けられることがもっとも幸せなはずだ。都市の人を呼び込むこともよいけれど、ここに生まれ育った人たちが、ここでも十分だと思うような地域づくりこそが重要だ。ここに生まれ育った人たちが、ここでは自分が思うような暮らしをできないとすれば、それをできるようにすることこそが重要だ。
・日本とヨーロッパとでは社会システムが異なる。フランスなどでは小さな集落であっても存続していける社会システムになっている。日本社会はヨーロッパの方向ではなく、経済効率を求めるアメリカに追従している。社会システムが異なるし、それを支えている人の精神のありようも違うのだから、たとえヨーロッパの方向性が正しいとしても、今、ここ設楽でその方向性を目指したとしてもうまくいかない。
・子供達の世代に何かを残したい。だから自分自身は生きていないだろうけれど、子供達のために自分の山で広葉樹の森作りをし始めている。いずれ杉の人工林を広葉樹の森にしたいと思っている。後進国から日本の農林業を学びに来ている人たちに自分の山を開放しようかとも考えている。
・人工林は暗く、人を寄せ付けない森だけれども、広葉樹の森は人をいざなう。将来、自分達の山がイギリスのフットパスのような散策路のフィールドになるといいと思う。
・大勢で集まって何かをしようとしても、自分自身では何もしない人がお酒を飲みながら放言したり愚痴を言って終わってしまったり、そんなことでは意味がない。そんなことではなく、一人ひとりが自分自身でできることをやることにこそ意味がある。
僕はKさんのお考えがわかります。それでも次のようなことをお伝えしました。
・Kさんのように、持続可能な社会のために自分自身の暮らしの中でできることをしようという人は大勢いる。
・ でも、そういう人がマジョリティになることはない。結局、いくら個別具体的な行動(たとえば買い物袋を辞退するとか、マイ箸を持つとか、ごみを拾うなど)について啓蒙しても、それによって自発的に行動をする人は少数派の限られた人だし、その効果もきわめて限定的だ。希望ある未来には、もっと大きな力が必要だ。
・持続可能な社会の実現には企業活動や個人の行動に対する強い動機付け、あるいは強制力が必要だ。つまり、それらを生み出す法律が必要だ。(次元は違うが、ごみの分別回収は強制されているからこそ進んでいるという意味。持続可能な社会を希求するなら、経済発展を犠牲にする強制力が必要だという意味。)
・今の現役世代は社会参加意識が極めて低く、社会に過剰に順応している。だから市民の社会変革への啓蒙が必要だ。でも、今はデモなんてしても誰も振り向かない。根源的な運動を起こすにしても、誰もが参加しやすいソフトなきっかけが必要だ。そのために、現代社会の問題が凝集しているダム建設予定の核心地での森作り運動に可能性を感じている。
・だから勝手なお願いだけれども、そのためにも自分達に水没予定地を貸していただきたいと。
Kさんは僕の話について一定の理解をしてくださったように思います。しかし、水没予定地の住民の方々が現在おかれている状況を考えると、ダム反対とは異なる社会構造的な問題提起であったりダム建設問題の共有という僕たちの運動意義を理解せずに、いろんなことを言う人がいるだろうから、今このタイミングで、ご自身の土地を僕たちに提供するということは難しいとのことでした。ただ、ご自身の森作りに都会の人たちが参加し、ともに設楽のことを考えてくれるということについて、その可能性は否定しないし、協力もして欲しいと、そんな風に理解しました。
また、お話の最後に、僕は、水没予定地の方々の記憶を記録するために、使い捨てカメラを皆さんにお配りし、それを回収して現像し、展覧会をしたり、インターネットで公開してはどうでしょうか、とお話したところ、これについては地域への働きかけについて協力をしてくださるということでした。僕たちは自分の暮らしについて考えたり、持続可能な社会のために行動するきっかけとなるようなワクワクする雑誌を作ろうとしていますが、設楽の暮らしなどを紹介していくコーナーで、いずれまたKさんをご紹介したいと思います。
僕たちの運動は、あっちへいったり、こっちへいったり、どこへ行くのかまだわからない状態ですが、でも、あせらず時間をかけて、この種を大切に育てていきたいと思います。
あなたの希望をここに。
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